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忍者が活躍した時代
今年愛知県が観光PRのために「忍者」を募集したところ、世界中から応募が殺到したという。海外では忍者が大ブームなのだという。 さて、忍者のはじまりにについては、聖徳太子が志能便(しのび)と呼ばれる諜報集団を操ったのが最初だという説や、呪術を研鑽した山伏が忍者になったという説など諸説ある。しかし、忍者が最も活躍したのが戦乱の世であったことは間違いないようだ。多くの戦国大名は忍者を抱えていた。徳川家康がまだ元康と名乗っていたころ、対立する敵将鵜殿長持を滅ぼした功績を称えて甲賀忍者に与えたとされる書状が現在も残っている。
 
忍者は黒装束ではなかった
忍者といえば黒装束というイメージが強いが、実は黒装束ではなく、山着や野良着を戦闘用に改良したものを着ていたという。今年のNHK大河ドラマ「真田丸」で藤井隆が演じる佐助(猿飛佐助)はまさにその典型である。三谷幸喜は佐助のキャラクターについて、「身体能力が高いお百姓さん」をイメージして脚本を書いたと語っている。 それではいつから忍者といえば黒装束というイメージができ上がったのだろうか。これには江戸時代後期の歌舞伎や読本(よみほん)の影響が大きいという。こうした作品に登場する忍者は、決まりごとのように黒装束を身にまとっていた。超人的な忍者の活躍を強調するためには、山着や野良着ではなく黒装束でなければならなかったからだ。
 
技術者としての忍者

忍者は武術に優れている以上に、さまざまな特殊技術を持っていた。独自の文字や伝達手段を持ち、医学、天文、気象、心理学などの実践的な知識を身につけていた。製薬の技術もその一つである。彼らは薬草を栽培し、それらを常備薬としてだけでなく、毒薬や眠り薬など目的に合わせて調合した。全国に薬を行商する者もあらわれ、甲賀(近江)売薬は富山の薬売りと肩を並べるほど有名になった。 戦乱の世が終わり忍者の活躍の場が少なくなると、忍者の中には厳しい修行で得た技術を生かして、違う道を究めようとする者もあらわれた。火器の技術をいかして花火師として活躍する者、人を欺く忍術をいかして奇術師になる者、さらに大名の邸宅に出入りしていたことから庭師になる者もあらわれた。忍者が生み出した技術が、日本独自の文化の発展に寄与している例は決して少なくないのだという。 忍者といえば武術の部分だけがクローズアップされがちだが、彼らが日本の文化に影響を与えてきたかもしれないと考えると、なぜか急に忍者という存在にに親近感を感じてしまうのである。

 
 
 
 
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