ジパング

真鍮寺

真鍮の祖神として信仰をあつめる「こうしんさんこうとく

むかしむかし、滋賀県甲賀市にある庚申山(こうしんさん)の麓に藤左衛門という貧しい百姓が住んでいた。働いても働いても生活は苦しく、仕方がないのでふるさとを離れる決心をした。しかしその前に、かねてから深く信仰してきた広徳寺の本尊におすがりしてみようと、文禄2(1593)年、広徳寺に籠って断食をし、家運の隆盛を祈願した。ひたすらお祈りを続けて17日目の満願の夜、枕元にひとりの童子が現われた。藤左衛門はこの童子から「銅に釷丹(とたん、亜鉛)を混ぜて吹き流せば黄金の金が得られる」という教えを授かったという。
藤左衛門はこのお告げのとおりに鋳法を試みてみれば(真(しん)に鍮(い)てみれば)、黄金色の光沢をした合金を得ることができ、これを「真鍮」と呼ぶことにした。これが我が国における真鍮製錬の始まりと伝えられている。

藤左衛門は慶長4(1599)年に京都に上り、真鍮吹業によって巨万の富を築いたとされる。
実際にその頃、京都の真鍮吹業は非常に盛んで、京都には数多くの吹屋が存在した。京都の真鍮吹業は安永9(1780)年に江戸と大阪で許可されるまで日本国内で独占的な地位を占めていた。槌で叩いて板を延ばす技術も京都が発祥であった。真鍮をつくるのに使用された亜鉛は、既に中国において製錬されており、中国から輸入されていたと考えられる。ちょうど戦国時代から伏見桃山時代の豪華絢爛な装飾が好まれた時期であり、黄金に輝く真鍮の需要は高く、藤左衛門の成功の理由がうかがえる。

真鍮吹業で財を成した藤左衛門は謝恩として広徳寺の本堂を建て直した。
それから約400年以上にわたって、広徳寺は真鍮の祖神「真鍮寺」として、伸銅・銅業界関係者から篤い信仰を集めてきた。

その本堂が2013年4月、漏電により焼失した。広徳寺は山奥にあるため消火に必要な水を確保できずに全焼となった。火災の後も台風に見舞われ、再建に向けた取り組みは難航したが、伸銅メーカーや地元の方々の協力もあって、2017年3月には本堂が4年の時を経て蘇った。焼失前と同じ規模で設計、建築され、屋根は板厚0.4mmの銅板が使用され、120m2に及ぶ一文字葺きの銅屋根となっている。

今年も広徳寺では1月に恒例の初護摩が行われ、伸銅業界の発展や商売繁盛等が祈祷される。美しい銅屋根を眺めながら、いにしえの真鍮の歴史に思いを巡らせても良いかもしれない。

蘇った広徳寺の本堂の屋根は、美しい一文字葺きの銅屋根


2017年7月の落慶法要の様子

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