TOP特集新製品・新技術歴史を見たマテリアル【新】こんなところにアルミ・銅
News Scope新・やさしい技術Zipang
 
 
 
国内線で活躍したYS-11
(写真提供 日本航空)
 
ゼロから出発して、世界で活躍したYS-11
 
1962(昭和37)年、戦後初の国産旅客機YS-11が初飛行に成功した。

YS-11は戦後、日本航空機製造(日本政府とメーカー共同出資による特殊法人)でつくられた定員60〜64人のプロペラ機である。全長26.3m、幅32m。ずんぐりと丸みを帯びたボディに大きな垂直尾翼が特徴的だ。国内の人の移動が盛んになることを見越して、地方空港の短い滑走路にも離着陸できるように設計された。名前の由来は、設計を担当した輸送機設計研究協会の「輸送機」と「設計」の頭文字「YS」によるものである。また、「11」は「じゅういち」と読まれることが多いが、もともとは「いちいち」で、はじめの1はエンジンの種類、あとの1は設計案の番号を示している。

YS-11の初飛行は、名古屋飛行場(小牧空港)を離陸し伊勢湾上空をめぐるおよそ1時間のテストフライトだった。国産の航空機が日本の上空を飛ぶのは終戦以来、実に17年ぶりのことである。戦前は世界屈指の航空技術を持っていた日本だったが、戦後GHQにより航空機開発を禁じられたために、世界の先端技術からは取り残されてしまっていた。エンジニアたちはさぞや悔しい思いをしていたことだろう。これを乗り越え成功した初飛行はマスコミでも大きく取り上げられ、航空関係者だけでなく日本中の注目をあつめた。

YS-11の性能は高く評価され、2年後の東京オリンピックでは聖火輸送機として使われ、日本の復興を象徴するものとなった。その後、海外のエアラインでも導入されるようになり、製造を終了した1973年までに国内外合わせて182機が製造された。これは、信用も実績もない航空機メーカーの初めての旅客機としては、驚異的な数である。
 
丈夫なアルミボディで長寿命
 
航空機の材料には軽さと強さが求められる。そのため、戦前から現在に至るまで、航空機の機体の大部分はアルミ合金でつくられている。アルミニウムはスチールと同等の強さを持ちながら重さは約3分の1。航空機に最適な材料である。YS-11も、もちろんアルミ合金製であった。
通常、航空機の強度は安全性と経済性の兼ね合いで決められている。しかし、旅客機の設計経験のなかった日本はその目安がわからず安全性を重視したため、YS-11は 必要以上に丈夫につくられた。一時はオーバークオリティーとも言われたが、通常20〜30年で寿命となる航空機が多いなか、YS-11は40年以上も活躍することとなった。
YS-11は2006年に日本のエアライン全てで引退することとなったが、これは機体の寿命のためではない。国内の旅客機に空中衝突防止装置の設置が義務化されたからである。そのため海外のエアラインや自衛隊などでは現在でもYS-11が活躍している。
 
よみがえれ!国産旅客機
 
日本航空機製造は、YS-11の開発では成功をおさめたもののコスト管理や価格交渉の失敗から赤字が累積し、1973年にYS-11の製造を終了した。その後、長きにわたって国産旅客機が製造されることはなかった。
ところが、先ごろ新たなニュースが飛び込んできた。三菱重工業が小型旅客機の事業化に乗り出し、政府もこの事業に協力することが決まった。YS-11から40年以上経て、再び日本が空の世界に挑むことになるのである。懸念されるのが、実際の飛行データの不足であるが、実はこれにYS-11が貢献している。引退したYS-11の機体の疲労や損傷具合が調べられ、貴重なデータを提供しているのだ。
YS-11から次の国産旅客機へ。空白の時間は長いが、YS-11が培ったノウハウは失われる寸前のところで引き継がれた。再び大空を国産旅客機が飛び立つ日はそう遠くないかもしれない。
 
 
 
copyright (C) kobelco all rights reserved.