特集

情報誌で振り返るアルミ・銅の歴史 ①(1963~1974)

アルミが注目されはじめたころ

海を飛ぶアルミ 水中翼船(1964年9月 5号)


瀬戸内海を走る日立造船シュプラマルPT50型水中翼船
  日本に水中翼船が登場したのは1962年である。記事では、「その軽快さ、スピード感は従来の船の感覚を一新させるものがある。このためか現在では各地の海や湖で文字通り縦横に活躍している」と紹介し、瀬戸内海を運行する日立造船のPT50型水中翼船(140人乗り)に神戸製鋼のアルミニウムが15トン使われていることを伝えている。この水中翼船はシュプラマル社のライセンス契約により建造されたもので、瀬戸内海や伊豆半島周辺などを航行していた。しかし、この半没型という形状の水中翼船は、低燃費で高速航行が可能な反面、波の影響を受けやすく、乗り心地が悪かった。また、専用の接岸施設のない港に入港することができないという欠点もあり、次第に他の高速船やジェットフォイルにシェアを奪われていった。しかし、水中翼船が当時のアルミ需要の拡大を示す好例だったことに違いはない。

富士山頂にアルミのレーダー(1965年3月 7号)


完成した富士山頂レーダー
  1965年、富士山頂に前年5月から着工していたアルミの気象用レーダーが完成した。1959年に発生した伊勢湾台風が多くの被害をもたらしたことで、台風の位置を早期に探知する気象レーダーの設置が急務となっていたのである。この装置には、高所のための猛風雪などの特殊な条件を考慮して、アルミニウム製のパラボラアンテナが使用され、これを保護するドームのフレームにも神戸製鋼のアルミが使われた。この富士山レーダーができるまで世界で一番高所にあった気象用レーダーは、アメリカ合衆国モンタナ州にある山の山頂(標高2,600m)のものだが、富士山レーダーはこれを一気に1,100m以上も越えることになった。その白く輝くレーダードームは、富士山頂の代表的な構造物のひとつであったが、1999年11月その役目を終える。本体は解体移設され、現在は富士吉田市立富士山レーダードーム館として公開されている。また、この富士山レーダーは、気象レーダー運用の電気技術史に残すべき顕著な事例として、2000年3月に「IEEEマイルストーン」に認定された。

南極観測船「ふじ」(1965年8月 8号)


航行する「ふじ」
  日本の南極観測は、初代観測船「宗谷」による第6次観測隊(1962年)以降、一時中断していたが、1963年8月20日の閣議で再開されることが決まった。「宗谷」はもともと南極観測船として造られたものではなく、日本海軍の特務艦として太平洋戦争に従事していた。2代目の観測船となった「ふじ」は、日本で最初の極地用の本格的な砕氷艦として建造されることになり、自衛艦としては初めてヘリコプターを搭載した。1965年3月18日に進水したのちは、1983年4月まで海上自衛隊により運用され南極地域観測隊輸送に従事した。記事では、「軽量化、防錆、硬度化などのために、各所に神戸製鋼のアルミが大量使用されている」と紹介し、冷蔵庫、舷窓火薬庫、予備品格納庫、船務室、気象室などにアルミが、消火吸込管、冷却海水管などに銅管が採用されたと報告している。退役した後は、1985年から名古屋港ガーデンふ頭に永久係留され、多くの見学者を迎えている。
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