特集

情報誌で振り返るアルミ・銅の歴史 ①(1963~1974)

「軽伸ニュース」の創刊

「発刊のことば」(1963年11月 1号)


軽伸ニュース1号表紙
  「神鋼軽伸ニュース」第1号には「発刊のことば」として、次のような文章が書かれている。
「この度、神鋼軽伸ニュースを発刊いたすのも、一つには当部(軽合金伸銅事業部)の方針なり、製品内容を充分に承知していただくとともに、皆様方のご意見なり、ご批判を掲げ、当部と皆様方との二道交通(Two way communication)の場にいたしたいと考えるからに他なりません。(中略)本誌は、セールスに直結したPRニューズ・レターとして皆様方のご愛顧をいただくよう編集に努力いたすつもりでおります」。
当時はまだPRということに関心が薄い時期で、まさに手探りの状態での発刊だったと、創刊に関わった社員は後に語っている。

「東南アジアに旅して 僻地まで浸透の神鋼ブランド」(1963年11月 1号)


羽田空港出発時の鈴木さん(左端)
  現在の日本人の海外渡航者は年間約1700万人といわれているが、1963年に日本から海外に出かけた人は5万人にも満たなかった。当時、軽金属販売課長だった鈴木満信氏が東南アジア諸国を歴訪したのはそんな時代だった。訪問した国は香港、東西パキスタン、ビルマ、タイ、マレージアの5カ国の8都市である。目的は「神戸製鋼の材料が商社を通して納入されている各所へのプレアフター・サービスと技術ディスカス」にあった。当時これらの国々ではアルミ圧延はあまり普及しておらず、「おしなべて日本の大正から昭和時代の水準だった」と記している。用途としてはアルミ需要の90%が台所用品や器物の類であり、まだまだ需要は見込めそうもないとも報告している。各国それぞれの印象についても記されているが、香港では土地が狭いせいか工場がビルの中にあることや、パキスタンでは器物を1個売りでなく目方売りしていることに驚いたと記されている。

「ディーラー巡り① 神鋼商事KK」(1963年11月 1号) 

「軽伸ニュース」を「当部と皆様方との二道交通(Two way communication)の場にしたい」と「発刊のことば」で宣言した通り、毎回、軽合金伸銅事業部と関わりの深いディーラーの方に登場していただき、その活動を紹介することにした。その「ディーラー巡り」第1回は、「神鋼製品の扱い高は80%」という「神鋼商事KK」だった。「ディーラー巡り」はその後、流通各社を紹介し、27号、28回まで続いた。
また、創刊号から工場を紹介する「ルポ 工場を訪ねて」のページがはじまり、第1回は長府工場を、第.2回では創業46年を迎えた門司工場を紹介した。この2つの工場は、当時の軽合金伸銅事業部の大きな柱であった。
前のページへ 一覧へ 次のページへ