青と朱色が鮮やかさを競っていた奈良の都。
青丹よし奈良の都は咲く花のにおうがごとくいま盛りなり。万葉集に収められたこの歌は、長く大宰府に赴いていた小野老朝臣が、遠く都の春を想って詠んだ歌とされている。「青丹よし」というのは奈良にかかる枕詞である。諸説あるのだが、奈良が顔料の青丹を産出したことによるというのが定説のようだ。そこから平城京が「青色」の瓦と「丹色(朱色)」の柱で美しい景観を誇っていたことが伺える。20年ほど前に復原されたばかりの薬師寺西塔を訪れたことがある。隣に建つ昔のままの東塔と比べてあまりにも鮮やかな「青」と「朱」の色彩に強い違和感を覚えたことがあったが、ああこれが「青丹よし」ということなのかとわかって、妙に腑に落ちた記憶がある。。
 
日本人は朱色に魔除けの力を感じていた。
薬師寺の西塔を例に出すまでもなく、古都の寺院建築には朱色が多く使われていた。神社の鳥居にも朱色が多く用いられている。その理由は、古代の人の色彩感覚ということもあろうが、朱色に魔除けの効果を願ったためだと考えられている。朱色の原料である「丹」には水銀が含まれているため、防虫・防腐剤や医薬品に関連づけられて魔除けにつながったのかもしれない。そう言えば、不老長寿の秘薬として有名な「丹薬」や「仙丹」という薬にも「丹」の字が使われている。
私たちの祖先が初めて朱色を発見したのは、地震などの地殻変動で地中の水銀が硫化し朱色になったものを見つけたのがはじまりではないかと言われている。これが「丹」である。「丹」を産したと思われる「丹生」のつく地名が高野山の周辺や伊勢周辺などに多く分布しているが、いずれも中央構造線上に多いのもそのためだという。
古代人が見つけたその鮮やかな朱色は、神と崇める太陽や炎のイメージと直結して、死者を葬る際や祭祀の場に魔除けとして塗られていたという。土偶には顔面あるいは身体全体に朱が塗られているものも多く発見されている。古代日本の軍場では、男たちは顔や身体のいたるところに朱色を塗布し武運と安全を祈願したという。
また、江戸時代に天然痘が大流行したことがあったが、このときは魔除けとして朱色(赤色)が大いに使われた。人々は痘瘡神が嫌いな赤い色を競って身につけ、赤い蒲団、赤い玩具、赤い達磨、赤い注連縄、赤い屏風などを掲げたと言われている。色に力を与えたのである。
ほかにも朱色が魔除けとして使われた例はある。たとえば、還暦に赤いちゃんちゃんこを着るのは赤を着て厄を避ける意味があったという。また、還暦には赤ちゃんに還るという意味もあるが、この赤ちゃんという言葉も、生まれたばかりの子が邪気から逃れることができるようにという親の願いから呼ばれるようになったという説もある。日本人にとって、朱色は災難から守ってくれる色だったのだ。
 
江戸風鈴で涼しい魔除けを。
江戸風鈴というのをご存知だろうか。1970年代頃までは、風鈴といえば江戸風鈴が一般的だったといい、これには必ずどこかに朱色が塗られていた。金魚の場合もあれば花の場合もあった。そして、これにも魔除けの意味があったという。風鈴の場合は音も魔除けの役割を果たしていた。日本には古くから音のなる物を魔除けと考える信仰があり、縄文時代には土鈴と呼ばれる音を出す器物が獣や魔物を追い払うのに使われた。これが風鈴の原型でないかと言われている。風鈴には涼しさを感じるとともに音と色による魔除けの働きがあったのだ。最近ではあまり江戸風鈴を見かけなくなったが、この夏は節電と魔除けをかねて江戸風鈴はいかがだろうか。
 
 
 
copyright (C) kobelco all rights reserved.