ふすまが大活躍した時代があった。
最近、ふすまのある家庭は減っているのだという。そもそも和室が少なくなってはふすまの出番もなくなるのは仕方がないが、昔はどんな家にもふすまはあって大活躍していた。家族が食事をした居間は、ふすまで仕切れば寝室になったし、大勢のお客様を迎えるときはふすまをはずして大部屋にもできた。白くてきれいなふすまは影絵を写すのに都合よく、のちに幻燈のスクリーンにもなった。いま我が家にあるするふすまと言えば、押入れしかない。
 
衣服のように自然を感じ、取り入れてきたふすま。
さて、ふすまはいつ頃誕生したのだのだろうか。「源氏物語」にはすでにふすま(襖障子)の描写があり再三登場することを考えると、平安時代、とくに貴族社会ではかなり普及していたと思われる。この時代の邸宅はというと寝殿造りだが、その内部は広い空間に丸柱が立ち並ぶだけの広間様式だった。それを、季節の変化や行事・祭礼などに応じて、ふすまや屏風、几帳などを使うことで内部を仕切り、「しつらい」をしていたのだ。「しつらい」とは「室礼」と漢字をあてるが、もとの意味は「釣り合うようにする」ことだという。昔から日本の建物には、西洋のように自然との間に強固な境界をつくるのではなく、できるだけ自然を取り込み、釣り合いをとりながら暮らしていこうという考えがあった。だから、自然の変化に柔軟に対応できるふすまの可動性はとても便利だった。蒸し暑ければ開放すればいいし、寒ければ小さく仕切って暖をとる。季節によって寝所の位置を変えることだって簡単にできた。まさにふすまは、自然に対して衣服のように自由に調節できる便利なものだったのだ。そういえば、襖(ふすま)という字は衣服のあわせや綿いれから生まれたと言うし、そのまた語源になった衾(ふすま)は、寝る(臥(ふ)す)ときに体にかける寝具からきたと言われている。ふすまという衣服を通して、日本人は自然と釣り合いをとっていたのだ。
ところで、ふすまのことを「唐紙」(からかみ)ともいうが、これはふすまが中国からもたらされたということではない。ふすまを張る紙に、唐から輸入した模様紙が使われたからそう呼ぶようになったにすぎず、当時の中国大陸にも朝鮮半島にも類似の建具はなかったことを考えると、ふすまは日本で生まれた文化だといえる。
 
ふすまが教えてくれた家族を気遣いいたわる心。
自然との釣り合いを大切にする日本人の生活や文化に合ったふすまは、建築の様式が寝殿造りから書院造り、さらに数奇屋造りと変わっていく中でも、欠かすことのできない建具だった。一般の家庭にも広く浸透し活躍していたが、それが、戦後の民主主義の発達とともに個人の生活を重要視する風潮がうまれ、部屋に独立性を求めるようになってからは、徐々に居場所をなくしていった。確かに、ふすまには音を遮断することはできないし、プライバシーの確保には適さない。しかし考えてみると、そのような空間だったからこそ、日本人は配慮する心、気遣う心を大切にしてこられたのではないか。隣の部屋で病人が寝ていれば、言われなくても子どもたちは静かにしていたし、姿が見えなくても誰がどこで何をしているのかがわかり、気遣うことができた。今日のように個室化がすすみ、みなが部屋にこもるようになると、家族の気配をいつも感じることができた生活も良かったと、懐かしく思えてくる。ふすまは減ってしまったけれど、日本人の自然をいつくしむ心、人を、家族を気遣う心は、生き続けていて欲しいと思う。
 
 
 
copyright (C) kobelco all rights reserved.