平安貴族の生活習慣から始まった。
朝顔、風鈴、打ち水、簾…こうした夏風情にスーッと溶け込み一つの情緒を作り出しているのが浴衣である。暑い夏を楽しむ風物詩としての景色がそこにある。
「浴衣(ゆかた)」は、もともとは「湯帷子(ゆかたびら)」と言われていた。平安時代に話は遡る。この時代の風呂は湯浴みではなく蒸し風呂が中心であった。平安貴族たちが蒸し風呂に入る際、蒸気でヤケドをしないように湯帷子を身につけた。また、複数の人と入ることが多かったため裸を隠す役目もあった。
帷子(かたびら)とは麻で作られた着物のことで、当時、木綿は高価であり安価な麻が使用された。「湯帷子(麻)」が「浴衣(綿)」となって庶民に広がったのは江戸時代からである。
 
江戸っ子の気質と技術が生んだ新たな藍染技法。
町人文化が多彩な分野で花開いた大江戸八百八丁。そこには町人たちの様々な知恵が活かされていたが、風呂の中で着る「湯帷子」を風呂上りに着る「浴衣」に変えたのもその一つだ。
江戸時代は、綿の生産量も高まり汗を吸い取る機能も含め浴衣が普及するようになったが、さらに浴衣のあり方を変えていったキッカケは当時の権力への反発でもあった。
十二代将軍/徳川家慶の了承のもと老中水野忠邦が、天保年間の1841年〜1843年にかけて政治改革を実施した。いわゆる天保の改革である。その一つに倹約令があり、これにより庶民が絹などの贅沢な着物を着ることが出来なくなった。色も藍色と決められた。これに「てやんで!」とばかり反発したのが江戸っ子染色職人たち。
江戸時代はすでに藍染は確立していたが、それを進化させた長板本藍染という技法をあみだした。長板染めは染色する台が文字通り長く約6mである。長板染はもともと絹を染める時に用いられるのが基本で、武士や上流階級の正装の着物に使用される染色技法であり、それだけに見事な染め柄が仕上がる。
この長板染めを絹ではなく綿素材に染める技法が長板本藍染技法である。「絹がだめなら綿に染めてやる…」そんな江戸っ子職人の気質とウデが綿に新しい藍の文様を染め始め、浴衣を新たな着物ファッションに変えていく。
 
江戸の粋は、たちまち町人たちを魅了した。
江戸時代の着物の柄には「大紋(大柄)」「中形(中柄)」「小紋(小柄)」の3種があり、江戸小紋は繊細で美しく今でも有名である。こうした絹に染色される小紋と同じ技法を用いて綿に藍色柄を染める長板本藍染。浴衣の場合の柄は「中柄」が用いられ「中形染め」と呼ばれているが、絹に負けず劣らずの精巧な長板本藍染めは優雅で美しく、粋な着物としてオシャレで新し物好きあった江戸っ子の心をアッという間につかんだ。
絹に負けない染め上げ柄の美しさは、まさに江戸っ子気質を染めこんだとも言えるが、長板本藍染技法は、現在、無形文化財に指定されている。
この時代、銭湯も普及したこともあり長板本藍染の浴衣はさらに広がり、町人たちは湯上りに着るほか、粋に着こなす夏の常用着となっていった。
長板本藍染は今、量産できる「注染(ちゅうせん)」と言われる手法が中心であり、明治40年頃から始まった。これは型染めの一種で柄の部分に染料を注ぐことから注ぎ染めとも呼ばれているが、長板本藍染の文様や色使いの伝統はその中に活かされ、当時の染色職人の心意気が今なお生き続けている。


着物離れと言われて久しいが、しかし、夏ともなれば花火大会や縁日などで藍染文様のほか多彩な色使いの浴衣の女性を見かける。手に団扇、扇子を持ち、その姿は昨日までの様子とは明らかに異なる別の美しさが漂っている。日本の夏がそこにある。浴衣で夏の季節を楽しむ、これもまた一興である。
 
 
 
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