まな板の音が目覚まし時計だった。
「トントントントン…」朝、台所の方から小気味のいい音が聞こえる。母親が朝食の準備をする音だ。それを合図のように子どもたちが目を覚ます。味噌汁の香りが漂う中、家族が顔をそろえて食卓を囲む。日本には、そんな情景で朝を迎える時代があった。味噌汁の香りはオフクロの味として、日本の朝を象徴するものであった。
かつて豊かではなかった日本において、質素な食事をしながらも健康が保てたのは、長い間食べ続けていた味噌汁のおかげであると言われている。低タンパクであった日本食に味噌の原料となる大豆がタンパク質を補っていたのだ。
味噌汁を「おみおつけ」と呼ぶことがあるが、これは「御実御汁食」と書き具沢山を意味し、味噌汁は具の少ない質素なものを言う。
 
武家社会の一汁一菜から始まった味噌汁。
古くは縄文時代に製塩が行われ、醤などの塩蔵発酵食品が作られていたと思われ、弥生時代の遺跡からは穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。奈良時代には穀物を原料とする「未醤(みさう・みしょう)」と呼ばれた味噌の記録が残されている。
味噌は鎌倉時代以前、食材に付けたりそのまま舐めたりしてたべていた。今の時代もオニギリに付けたり、キュウリに付けたりして食すことがあるが旨い食べ方だ。
鎌倉時代に入ると味噌をすりつぶし溶かして汁状のものが飲まれるようになり、これが味噌汁の原型となったとされる。
こうした中で、武家社会に一汁一菜の食事形式が定着し始め食事に味噌汁を食べる習慣が生まれてくる。室町時代には庶民の間にも味噌汁は広まっていき、農民は自分で味噌を作るようになっていく。
 
インスタント味噌汁は戦国時代にあった。
戦に出向く時、兵糧はじめ様々な荷物を運ぶが、それを括る紐の一つにサトイモの茎があった。凄いのは、そのサトイモの茎に施された工夫だ。まず、前もってサトイモの茎を味噌で煮込み乾燥させる。乾燥したサトイモの茎は食物繊維で丈夫だ。乾燥によって紐としての機能は充分だ。荷物を括り戦いの場に臨むが、食事時にはこのサトイモの茎を湯で煮る。味噌汁が簡単に出来てしまう。味噌の大豆によるタンパク質が補給できる。合理性が求められる戦いの場での食事の理にかなっている。
織田信長は、八丁味噌を小さく丸めたものを焼き固め戦いの場に持って行ったとされる。朴葉味噌も戦国時代の戦の中にその原型があったと言われている。
 
のどかな「朝売り」の声で朝を迎えた江戸時代。
戦国の世が終わり江戸時代を迎える。庶民の食文化にも味噌汁は普及していく。朝、シジミや納豆を売り歩く朝売りの声が聞こえてくる。ここで味噌汁の具を買い求め朝ごはんを食べていたと言う。豆腐、ワカメ、季節の野菜や山菜など、味噌汁の具は多彩であった。徳川家康は75歳までの長寿であったが、それは味噌汁にたくさんの具を入れ食べ続けていたから、と言われている。


日本人の食生活も変わってきたが、欧米では日本食が人気だ。健康的で繊細な風味が受けている。日本食が持つ健康特性は伝統的なものである。そうした中での味噌汁は典型的なオフクロの味の一つ。発酵食品の味噌にそれぞれの家庭が様々な具を入れ汁にして食べる味噌汁は、オフクロが家族の健康を思う健康の味でもある。
 
 
 
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