秋をつげる白い綿花
「綿秋(わたあき)」という言葉がある。秋は、綿花の実が熟す頃である。綿花といえば、可憐な白いふわふわのかたまりが印象的であるが、あれは花ではない。綿花の花は、透明感のある黄色の花で、この花が咲いた後で実が実り、成熟するにつれて乾燥し、皮がはじける。すると中からふわふわのかたまりが現れる。このふわふわは何かというと、種子を包む毛で、種子の外皮細胞が変形してできたものである。9月以降、実がはじけ白い綿が姿を見せ始めると、畑一面は白い花が咲いたように見える。そのため綿花と呼ばれるようになったのだろう。
 
綿の意外な用途
綿は、衣類や寝具など、さまざまな製品の原料となっていることはよく知られているが、その他の用途にも役立てられる。例えば種子の表面に付いている短い繊維はリンターと呼ばれ、ろ紙や再生繊維、火薬などの原料に使用されている。また、あまり知られていないが、種子は食用油として利用されている。繊維を取り除いて残った種子を紙に挟んで押しつぶすと、油がにじみ出てくる。これが綿実油と呼ばれる油だ。風味の良さと安定性に優れ、綿実油は食用油の王様といわれている。てんぷら油やサラダ油、マグロ油漬け缶詰などに使用され、とくに揚げ物料理時に臭いが少なく油酔いしにくいとされる。料亭やホテル、高級レストランなどのプロの料理人に愛用される、知る人ぞ知る高級油なのである。
 
和綿の良さを見直す動き
さまざな用途に使用される綿であるが、現在、日本で加工される綿のほとんどは海外からの輸入に頼っている。しかしかつて日本においても綿は栽培されていた。綿の種が日本に入ったのは799年、インドから持ち込まれたという記録が残っているが、栽培には至らなかったようである。その後1500年代に種子が九州に持ち込まれ、日本各地で栽培されるようになった。日本の綿は米と並ぶ重要な農作物で高い自給率を誇っていた。しかし明治以後、米国産や中国産綿の輸入が進んだ結果、国内の綿栽培は衰退していった。
かつて江戸時代から明治初期にかけて日本で盛んに栽培された綿は「和綿」と呼ばれる。和綿は繊維が短く、太いのが特徴で、少し厚手のしっかりした布になる。夏は湿気を吸い、冬は空気を含んで温かい。日本の風土に適した素材であり、着物や肌着、布団、手ぬぐいなど、古くから日本人の生活に定着してきた。一方、海外のエジプト綿などは繊維が長く、細いのが特徴で、薄い布ができる。この長繊維種綿の生産を明治政府が試みたことがあったが、気候不適合や害虫などにより失敗している。和綿は海外種に比べ低温で育つことから日本の気候風土に適している。かつては日本全国に多種類の和綿が存在していたが、そのほとんどが絶滅し、今ではわずかに残るのみとなっている。
最近、この和綿を復活させようという動きが始まっている。例えば鳥取県では「伯州綿(はくしゅうめん)」と呼ばれる鳥取県地方の在来和綿の復活に力を注いでいる。伯州綿は弾力性や保温性があり、布団用綿としては最高級品という。現在、遊休農地を利用して伯州綿の無農薬有機栽培が行われている。
世界において、綿は大量の農薬が使用され栽培されているのが現状だ。とくに毒性の強い枯葉剤を用いることから問題視されている。綿はなにより着心地の良さが一番である。ほっとするやさしさ、安心感。それらを求めたとき、どんな種が、どう育ち、どのように摘み取られたのか、そこに少しだけ想像を膨らませてみてもよいかもしれない。最近では安全性への懸念から、「オーガニックコットン」が登場しており、これは3年間農薬や化学肥料未使用の農地で、農薬や化学肥料を使用せずに生産された綿花を指す。まだまだ取り扱いは少量であるが、安全、安心な製品を求めるニーズの高まりから関心を集めており、綿を取り巻く状況はわずかに変化しつつあるようだ。
ついつい安価な製品に目を奪われがちであるが、着る人や使う人の心が変わっていけば、古き良き和綿の価値は現代にこそ高まっていくことだろう。
 
 
 
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