歳をとるにつれ、時間があっという間に過ぎてしまうと感じる方も多いことだろう。ついこの前、新年の挨拶をしたと思っていたら、もうすでに6月。今年はそろそろ半年が過ぎようとしているのだ。時間の早さに愕然としてしまう。
かといって、病院の待ち時間、満員電車でのひたすら耐え続ける時間、進展のない会議の時間、上司の説教を聞く時間、1秒、1分、1時間はおそろしく長く遅く感じるものだ。
早く感じたり遅く感じたり、時間というのは実に不思議なものである。
6月10日は時の記念日。しばしの間、誰もが平等に与えられている時間について少し考えてみたい。
 
それぞれの時間の感覚
「ネズミは2〜3年で死んでしまってかわいそう」、「愛犬に自分と同じくらい生きてほしい」人間は自分たちの寿命や時間の感覚で比較してこんなことを思う。しかし当の動物たちはそう感じているのだろうか。
「すべての動物は一生の間に心臓が15億回打つ」という説がある。寿命が約3年のネズミと約70年のゾウ。「年」という単位で考えるとあまりにも違う長さだが、「鼓動」という単位で考えると同じになるのだ。動物たちは自分たちの鼓動にあわせたそれぞれの時間の感覚をもっていて、ネズミは3年間をゾウの70年分、濃密に生きているのかもしれない。流れている時間の受けとめ方はそれぞれなのである。
 
日本人の時間の感覚が生んだハイテク時計
かつての日本に流れていた時間も、現代とは異なっていた。
1543年、種子島に鉄砲が伝来したことは有名だが、これとほぼ同時期に時計も日本に入ってきた。日本人は持ち前の器用さで、あっという間に時計の製造に成功したが、西洋の時計をそのまま使うことはできなかった。時間の感覚が違ったのである。
日本では、日の出から日没までを6等分した単位時間と日没から日の出までを6等分した単位時間をあわせた12の時間で1日を表していた。この単位を「1刻」と呼び、たとえば日照時間の長い夏であれば、昼の1刻のほうが夜の1刻よりも長くなる。現代の「1時間」は昼も夜も1年中同じ長さだが、「1刻」は昼と夜また今日と明日で毎日少しずつ異なるのだ。現代の感覚だと不便のようにも思うが、太陽の動きを見ながら生活していた当時の人々にとってはそのほうが自然だったのだ。
そこで、日本の職人はこの日本の時間に合わせた「和時計」を開発した。和時計は15日ごとに時計の文字盤をはめ変えるものや、昼と夜でおもりが切り替わるもの、さらには文字盤の時間を示す文字の位置が自動で変化する時計も開発された。他に類を見ない画期的な機構を持つものもあり、常に一定の時間を刻む西洋の時計と比べてはるかに高度な技術が用いられていた。
 
便利さとひきかえに
今、何時何分何秒か。私たちはいつでも正確な時間を知ることができる。このような生活が始まったのは、実は人間の歴史の中ではごく最近のことだ。たとえば江戸時代、時計はあったが大名のような特別な人しか持てない高価なものだった。庶民は、太陽の動きや寺の鐘の音でおおまかな時間を知ることができたが、「お日さまが高くなったから昼ご飯にしよう」といったおおらかな時間の感覚だったにちがいない。
人々が「分」という単位を意識するようになったのは鉄道で移動することになったことがきっかけだといわれている。「だいたいの3時ごろ」という認識では汽車に乗り遅れてしまうので「分」を考える必要がでてきたのだ。
そしてさらにラジオの普及により人々は「秒」という単位を意識するようになったといわれている。日本でラジオ放送が始まったのは大正14年のことなので、それほど昔の話ではない。現代人は便利になるのと引き換えに時間に追われるようになったのかもしれない。 いつも時間に追われていると感じている方こそ、休日には時計をはずして、太陽の教えてくれる時間に従ってみてもいいかもしれない。
 
 
 
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