外国語に訳せない言葉“もったいない”の心。
日本には昔から使われている言葉に“もったいない”がある。子供のしつけを始め日常的な多くの場面で物を粗末にしない事として自然に使われている。“もったいない”はもともと和製漢字の「勿体(もったい)」であり、これは重々しさや威厳という意味があるが、本来は仏教用語の「物体(もったい)」と書く。この「物体(もったい)」は物のあるべき姿を意味し、それが無くなることを『もったいが無くなる』“もったいない”となる。物本来のあるべき姿が無くなることを惜しみ、嘆き、物の価値を十分に活かしきれず無駄にする行為を戒める言葉なのだ。
“もったいない”は今、世界共通語“MOTTAINAI”になっていることは広く知られている。ケニア出身の女性環境保護活動家でありナイロビ大学教授のワンカリ・マタイが世界に向けて提唱したことによる。 “もったいない”をそのままローマ字にしたのは、自然や物に対する敬意、愛などが込められている“もったいない”の言葉が外国語の中には見つからなかったからである、と言う。リサイクル、リユース、と言う言葉とは異なる物に対する心の持ちようなのだ。
“もったいない”に込められた物を大切にする心、節約する心の意味は広く深く、昔より節度を重んじる日本が誇る文化のひとつである。
 
江戸社会は物を大切に使い切る知恵に満ちていた。
1880年前後の江戸は100万都市でありロンドン90万人、パリ60万人を抜いて江戸は大都市であった。当時、訪れていた外国人は「町は美しく整備され、庶民たちはキチンと洗われた衣服をまとい、世界で一番清潔な町である」と記している。こうした中で庶民たちは物を大切にする文化を育んでいた。
例えば着物は古着屋で買い、着られなくなったら子供用に直し、次はオシメに、そして雑巾、最後は焚き付けにし灰は回収業者が買って肥料にする。徹底している。鍋が壊れれば鋳掛け屋で修理、紙くずも売り再生に廻される。鍋や釜その他レンタルも多かった。炊き込みご飯も元は江戸時代以前、白米の量を増やすことから考えられた知恵の産物であった。こうした江戸庶民の物を大切にする事柄は挙げたら切がないほど多い。今で言うリサイクル、リデュース、リユースだが、日常生活の中で自然に根付いていたことが凄い。
こうした暮らしは窮屈であったかと言えばそうではない。歌舞伎などの芝居を楽しみ、ひいきの浮世絵を見、東海道中膝栗毛などの書を読み、桜はもとより向島百花園で四季折々の花を愛で、花火、祭りにも興じた。また、子供たちを寺子屋に通わせ読み書きそろばん、礼儀作法を学ばせるなど教育にも熱心であった。精神的な豊かさがなければここまでは出来まい。物を大切にし節約することは、精神的なものを圧迫することではない事を証明している。
 
江戸の心には戻れる。
世界中で不況が叫ばれ日々の暮らしに影響が及んでいる。江戸と同じ暮らし方をすることは到底できない話ではあるが、普段から物を大切にする心、物をキチンと使う心を今一度考えてみるにはいい機会ではある。節約、倹約は決して窮屈な生活を強いるものではない事は江戸庶民の生活の謳歌に知ることが出来る。“もったいない”の言葉が本来持つ意味を日々の暮らしの中に刻みたい。
 
 
 
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