江戸の名物であった火事と火消
 火事場で大きな纏を振る火消の姿は、時代劇などで一度は見たことがあるだろう。その姿は有名な江戸スタイルのひとつといっても過言ではない。そもそも火事は江戸の名物であった。その構造上の問題で火事が多かった江戸の町ではしょっちゅう火事が発生し、歴史に残る大火災も何度か起きている。しかし、火事はとても恐ろしい災害でありながら、その夜空を焦がす火炎はまさに見物に値するものであり、江戸住人たちの生活の中の年中行事のひとつになっていたという。しかも、火事によって材木などの商品需要が増えたおかげで商人たちは潤い、建設関係の職人たちにも仕事がまわってきた。いわゆる火事は復興景気をもたらし、江戸の経済を成長させたのだ。
 当時、火災の消火活動を行っていたのは火消と呼ばれる人たちである。江戸初期の江戸の町には消防組織はなく、武家屋敷での火災は大名と旗本が、そして町屋での火災は町人たちによる消火活動がなされていた。寛永18年(1641)に発生した江戸の大半を焼く大火事となった「桶町火事」をきっかけに、寛永20年に幕府は六万石以下の大名十六家を四組に分けて一組が十日ずつ防火を担当する大名火消を作ったが、後の明暦の大火で大名火消では対応しきれないことを反省し、万治元年(1658)江戸中定火之番、すなわち定火消(じょうびけし)を創設。初めは四名の旗本に任命したが、その後十名に増え、八重洲河岸、赤阪溜池、半蔵門外、お茶の水など十個所に火消屋敷を作り、江戸城に類焼するのを防止したという。この火消屋敷には臥煙(がえん)という火消人足が300人ほど常駐し、火災が起きると出動した。出動の際、旗本が与力や同心を従え臥煙を指揮したが、この時列の傍らに大小2本の馬印を立てたのが、火事場の纏の始まりだといわれている。
 
火災現場で消し口の目印となった纏
 享保三年(1718)になると、町奉行大岡忠相により各町名主に町火消の設置が命じられ、町人たちによる消防組織が作られた。これが町火消である。その二年後、火消組合が再編成され、隅田川から西の町をだいたい二十町ごと四十七の小組に分けて、いろは四十七文字を組み名とした。ただし、へ、ら、ひの三文字は語感が悪いという理由で除かれ、かわりに百、千、万とし、本所と深川は別に十六の組に分けられた。この時、各組の目印を纏や幟に定めたのである。享保15年には、四十七の小組は一から十番組の大組に改正され、今度は大組一組ごとに大纏が与えられた。
 もともと纏は戦国時代に武将が戦場で敵味方を見分けるために目印としたのがルーツであり、火消の纏もだんだんとスタイルが変化している。大名火消などは当初幟を使っていたが、その後馬簾がついたものにかわった。町火消も結成当時は纏幟を使い、活動範囲町名を書いた幟と掟を書いた小旗を添えていたが、天保二年に現在の纏らしい馬簾付纏になり、後に飾りの大きさも二尺(60cm) 以内と定められた。当時の纏は現在のものよりも重く、現場で消し口の印として火事場に立つ纏持は、かなり危険な役割であった。それでも燃えさかる炎の中で纏を振る纏持の、その雄姿は見事だったそうだ。
 
火事と喧嘩は江戸の花
 当時の消火法は風下の家屋を破壊して延焼を防止したり、大団扇であおいで風向きをかえるといったかなり原始的なものであった。特に破壊消防は屋根をむしり取って炎を上にあげてから家を押しつぶす、あるいは火が燃え移りそうな家をかたっぱしから破壊していくというあらっぽさであった。そのため、町火消には鳶人足が雇われていたのである。こうした鳶人足たちは生活保障を受けていたが、火事の無いときは鳶口を持って町内の土木建築を手伝っていた。
 江戸っ子にはただでさえ荒々しい男が多かったが、鳶人足たちの荒々しさは相当なものであったらしい。「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉は有名であるが、実際火災現場でも消し口の奪い合いで火消同士の大喧嘩が絶えなかったという。文化二年には芝居の題材にもなっている「め組の喧嘩」が勃発し、同年神田明神の祭礼ではその一帯が持場のよ組と隣のか組の大喧嘩があった。翌々年には火災の際によ組を含む一番組とか組を含む六番組に加え、九、十番組まで巻き込んでの大乱闘があり、それからもさらに組同士の抗争が激化。結局、町奉行はそうした行為に対して遠島・追放という厳しい処分も行わざるを得なくなったのである。
 
 
 江戸の町に半鐘が鳴り響くと集まってくる威勢の良い火消たちは、危険な消防活動を行うヒーローでありながら、一方では組の面子をかけて大喧嘩をする荒くれ者たちでもあった。みんな、実に江戸っ子らしい江戸っ子たちであったのだろう。現在でも見ることができる出初のはしご曲芸や纏振りも、江戸の火消たちが始めたものだ。また、それぞれの纏や半纏のデザインにも粋が見てとれる。火事という災害でさえも、ある意味イベントにしてしまった江戸っ子たちの逞しさ、そして、そこには現代に生きる私たちの琴線にふれる大きな魅力があるのではないだろうか。
 
 
 
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