未知の大陸をめざして。国をあげての挑戦
日本が南極に観測隊を送るようになったきっかけは 1957 〜 58 年の「国際地球観測年」に参加したことだった。国際地球観測年は地球環境の謎を解くため、世界中の国々が協力して観測活動を行うという壮大なプロジェクト。日本はこのプロジェクトに参加する形で南極への観測隊派遣を決めた。
当時の日本は、戦後の復興から豊かな時代へ向かって少しずつ変わりはじめていたころ。とは言っても庶民の暮らしはまだ貧しさから抜けきれておらず、食料や生活必需品の不足も続いていた。そんな時代にあって、日本が南極に観測隊を送ることは夢のような、大きな出来事だったという。
このようななか、第一次観測隊の派遣を成功させるため、さまざまな準備が国をあげて進められた。とくに未知の大陸に建設する基地の設計は、日本建築学会が総力をあげて取り組み、当時の最高の建築技術が集められた。
 
  建てる場所もわからない。難しかった基地の設計
日本が観測を受け持つことになった地域は複雑な地形から、それまでどこの国の探検隊も近づくことのできなかった「人跡未踏」の地。資料と言えばノルウェー隊が航空機から撮った古い写真しかなかった。基地を建てる場所が氷の上か、雪の上か、岩の上になるかも現地に行くまでわからず、設計家は非常に頭を悩ませることになった。
少ない情報に苦労しながらも、基地の設計にはいくつかの条件が考えられた。
それは、厳しい環境に耐え、観測隊が安全に越冬できること。観測船や雪上車で輸送しやすい重量や大きさであること。現地の組み立ては建築に不慣れな隊員が短期間に行わなければならないため、部品が軽く、簡単に組み立てられること。さらに長期にわたる観測期間中、隊員が快適に過ごせることなど。これらの条件をかなえるために設計された建物は、それまでにない、まったく新しい構造の建物だった。
基地の組み立ての様子
 
  開発された日本初のプレハブ建築。床パネルにはアルミが活躍
開発された建物は、木製パネルをつなげて組み立てるプレハブ式平屋建ての建物だった。形状はシンプルな箱形で、床、壁、天井パネルを順番に組み立て、金属製のコネクターで繋げるだけで、簡単に施工できる。実は、第一次南極観測隊のために開発されたこの建物こそ、日本で初めてのプレハブ式建築だったのだ。
基地に使用する材料も厳選された。たとえばパネルはより軽く、硬く、耐水性に優れた材料を求めて最高級の木材を使用。芯材には特別に選ばれた尾州ヒノキ、表面にはカバのベニヤを6枚重ねにした合板が選ばれた。
木材が湿気を吸収するのを防ぐためにはアルミニウムが使用された。現地での施工中、室内側パネルの湿気吸収が激しい場合の対策にはアルミ箔が用意された。また、床パネルには合板の表面にアルミ板を貼って仕上げたものもあったという。
完成した一次隊の建物
 
  昭和基地は無事に完成。ついに南極観測がスタートする
1956年11月、南極へ向けて出発した観測船「宗谷」は翌57年1月に南極大陸の東南にあるリュツォ・ホルム湾に到着。一次隊は大陸から少し離れた東オングル島という小島に3棟のプレハブ平屋建ての建物と、発電棟(断熱仕様の布を張ったテントのような建物)を建設した。基地は「昭和基地」と名付けられ、ついに日本の南極観測の歴史がスタートしたのだ。
未知の大陸に頭を悩ませ、新しい構造や材料を試行錯誤して生まれた日本初の南極建築。50年にわたる南極観測の貴重な成果は、その第一歩があってこそ得られたものである。
そして現在、当時と比べ格段に大きく、近代的になった昭和基地には、観測生活をより快適にするさまざまな設備が備わっている。
基地全体のイメージ。観測は長期に渡るため、なかには2畳程の個室を設け、プライバシーを確保できるよう工夫されていた。
 
写真・取材協力:大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 国立極地研究所
 
 
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