富本銭と鋳棹
(写真提供:奈良文化財研究所)
 
最古の貨幣は和同開珎か?富本銭か…!?
1999年1月20日、新聞各紙の一面に日本の貨幣史に一石を投じる大きなニュースが報じられた。奈良県飛鳥池遺跡の発掘調査で出土した「富本銭」が日本最古の貨幣である可能性があることがわかったのだ。 歴史の授業で習った記憶がある人も多いと思われるが、このニュースが伝えられる以前、日本最古の貨幣は「和同開珎(わどうかいちん(かいほう))」だと考えられていた。最古と伝えられてきた和同開珎の発行年は708(和銅元)年。では、なぜ富本銭はこれよりも古い貨幣とされるのだろうか。
 
貨幣史のナゾに迫る“銅銭”
富本銭が出土した飛鳥池遺跡は、飛鳥時代の役所が金、銀、銅、ガラスなどの製品を作らせた広大な官営工房の跡地である。遺跡からは炉や窯の跡、原材料や道具類、作りかけの製品や捨てられた失敗作などがたくさん発見されており、この地でさまざまな製品が作られていたことがわかる。
富本銭が見つかったのは、瓦を焼いたと見られる窯跡の近くの地層。この地層には 700 年頃に建てられたお寺の瓦の失敗作がたくさん捨てられていたが、富本銭が見つかったのはこれより下の層だった。また、富本銭が出土したのと同じ層から「丁亥年( 687 年)」と書かれた木簡も発見された。これらの条件から富本銭は和同開珎( 708 年発行)よりも前に作られたものではないかと考えられた。
貨幣の材料も発行時期を推測する手がかりとなった。出土した富本銭は銅銭であったが、詳しく成分を分析すると銅に微量のアンチモンが含まれていることがわかった。しかもこれは最も初期の和同開珎(銅銭)の材料成分とよく似ている。このことからも富本銭は和同開珎よりも早い時期の材料や製造法で作られたと推測された。
さらに「日本書紀」 683 年の記述には「今より以後、必ず銅銭を用いよ」という詔(みことのり)が記されている。これは和同開珎が発行される以前の記述。そのためここで言う「銅銭」が何にあたるのかは長年わかっておらず、専門家の頭を悩ませていた。しかし富本銭の発見により、この銅銭は富本銭にあたる可能性が高いと考えられるようになったのだ。 このようにさまざまな方面から検証が重ねられ、富本銭が日本最古の貨幣であることは有力な説として奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)から発表された。そして現在も、和同開珎との関係や貨幣としての価値、流通範囲など最古の貨幣に関する研究は続けられている。日本史が書き換えられるかどうかはこれからの研究を待つところだが、最近では、富本銭は副読本や資料集などで紹介されており、大学受験の試験問題に出題されるなど、次第に認知が広がってきているという。
 
古代の貨幣鋳造技術を知る貴重な発見!
現在、私たちがふだん使うお金は 1 円から 500 円までの 6 種類の貨幣と 1000 円から 1 万円までの 4 種類の紙幣。 10 円玉が銅貨なのはご存じの方も多いと思われるが、実は 1 円以外のその他の貨幣もすべて銅貨である。現在の貨幣は造幣局で銅と亜鉛、銅とニッケルなどの合金を圧延した板を打ち抜いて作られている。
さて、飛鳥池遺跡からは、古代の貨幣製造方法を知るうえで貴重な資料も多く見つかっている。この頃の貨幣は、まず貨幣の原型を粘土板ではさんだもので鋳型を作り、その中に溶かした銅を流しこんで作られていたという。型をはずした貨幣は木の枝に葉がついたような形をしており、枝銭 ( えだぜに ) と呼ばれる。これを一枚ずつ切り離し、形を整えて仕上げられていた。
遺跡からは富本銭を切り離した鋳バリ(鋳造時にはみ出した部分)や鋳棹(銅が流れ込む道)、鋳型、整形に使った道具、材料(溶銅)などが出土され、当時の貨幣鋳造技術をありありと伝えている。現在では、これらの遺物から富本銭の製造技術が具体的に復元できるようになっているという。

はるか昔に始まった日本の貨幣の歴史は、銅銭からスタートしたと考えられるわけだが、 それから 1000 年余りの時を経た現代、私たちが使う貨幣もまた銅貨というのは何とも不思議な感覚である。貨幣の歴史を支え続けてきた銅貨。ふだん何気なく支払い、受け取る 10 円玉の歴史に、時には想いをはせてみるのもいいかもしれない。
 
 
 
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