二国の友好から生まれたプレゼント
 

1776年7月4日。自由の女神像が左手に抱える独立宣言書には、こう刻まれている。
ニューヨークの海上、リバティ島に立つ「自由の女神像」。この像は、フランスの歴史家エドワール・ド・ラブレーがアメリカ合衆国の独立100周年を祝い、両国の友好の証として寄贈を提案し、建造された。
圧政をあらわす鎖、それを踏みつける足。右手にかかげた自由の灯。女神の姿には、フランス、イギリス両国民の自由への熱望が込められている。像の計画が持ち上がった1865年当時、フランスはナポレオン?世の圧政下にあった。フランス国民は、自由を求めてイギリスから独立を果たしたアメリカの姿に、強く共感していたのである。
アメリカの民主主義の象徴として、今では世界中の人に知られる自由の女神像。しかし、この世界一有名な女神の像が銅製であることを知る人は少ない。

 
自由の女神は金褐色に輝いていた
 
像の制作にあたったのはフランスの若手彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディ。全長46.05mの像の制作には、厚さ約2mm、半赤銅(ドミ・ルージュ)と呼ばれる銅板約100トンが使用された。バルトルディは、まず始めに高さ1.25mの女神の石膏像を造り、それをもとに何度か拡大を繰り返して巨大な女神の原型を造りだした。銅細工師は、その型から300以上のパーツに分けて銅板を打ち出し、鋼鉄の骨組みに留めていくという作業を行った。
像の制作には予想以上の費用と時間がかかった。当初の予定の2倍以上にふくれ上がった制作費用のために、フランス、アメリカ両国民からは多くの寄付金が寄せられた。1876年のフィラデルフィア万博にはトーチと右腕、1878年の第3回パリ万博には胸から上の部分が展示され、来場者から資金が集められた。そして1886年10月28日、20年以上の制作期間を経て、ついに女神はニューヨーク市民の前に姿を現した。
現在、私たちがイメージする自由の女神像は緑青色だが、完成時には、大西洋の朝日を浴びて美しい金褐色に輝いていたという。
 
アメリカと世界を見守り続けた120年
 
1886年の完成以来、自由の女神像は世界中の人に愛され、守り続けられている。建造100周年の1986年には、腐食が目立つ骨組みを中心に大規模な修復工事が行われた。このとき外側の銅板の修復も行われたが、ニューヨーク港の潮風にさらされ続けたにも関わらず、新しいものと取り替えなければならない銅板は、全体のわずか1%ほどであったといわれている。
およそ120年にわたり自由の灯をかかげ続けてきた「The Statue of Liberty Enlightening the World(世界を照らす自由の像)」。強く美しい銅製の女神は今もアメリカを、世界を見守り続けている。
 
 
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