(旧)日本相互銀行本店
 写真:清水建設(株)所蔵
 
先駆的なオフィスビルとともに登場したアルミサッシ
1952(昭和27)年、オフィスビルの先駆けともいうべきビルが誕生した。「(旧)日本相互銀行本店」(設計:前川國男)である。戦後の復興期、東京・八重洲に登場したビルは日本の建築の進むべき方向を示すさまざまな試みが施されていた。そのうちの一つ、徹底した軽量化を図るためアルミサッシが採用された。アルミサッシには神戸製鋼所が初めて押出に成功した押出形材が用いられた。この物件は国産アルミサッシ採用の第一号となるものだ。
先駆的なオフィスビルとともに登場したアルミサッシは、この後、昭和30年代、40年代になると瞬く間に一般へ普及することになる。
 
レディメードサッシの登場。スチールからアルミへ
昭和30年代に入ると、断面、仕様、寸法を全て標準化し、コストダウンを図ったスチールサッシが登場。事務所ビルをはじめ、学校、工場、病院、集合住宅など、需要が伸びていった。

日本でスチールサッシが全盛期を迎える一方で、アメリカでは早くも住宅用アルミサッシが一般化するなど、アルミニウムが建材として定着していた。押出加工による1回の工程で複雑な断面の形材を正確に製造できるアルミニウムは、折り曲げた鋼板を用いるスチールよりサッシの材料として数段優れている。この状況を視察した日本企業は、大量生産されるアルミ押出形材に目を奪われたという。そしてアメリカと技術提携し、スチールサッシ全盛のこの時期にあえて、本格的にアルミサッシの製造に乗り出したのである。

昭和34年には、国内初のレディメードアルミサッシ(標準化アルミサッシ)が開発された。大量生産と品質の安定を前提とした製品開発によって、アルミサッシの量産化が始まった。その後市場の反響を取り入れながら改良が加えられ、アルミサッシの品質が向上し、信頼性が高まっていった。
レディメードサッシによって市場が拡大するとともに、アルミサッシの建材としての優れた特性がいちやく脚光を浴びるようになった。
アルミサッシはまず気密性、遮音性が高い。これは寸法精度の高いアルミ押出形材を用いることで窓の開閉をスムーズにし、無駄な隙間をつくらないためである。従来の木製サッシは経年劣化いわゆる「ガタつき」があり、すきま風も多かった。アルミサッシの気密性は板曲げ加工によるスチールサッシに比べても、はるかに優れている。アルミサッシの登場によって、窓に「気密性」という機能が生まれたのである。さらにアルミニウムが本来持つ耐食性、美観性を備え、軽量で施工性に優れる等の特性も発揮する。
これらの特性が認められ、昭和36年には日本住宅公団が市街地建築物にアルミサッシを採用し、昭和40年には一般賃貸分譲住宅にも採用されるようになった。団地の建設ラッシュやプレハブ住宅の出現、部屋の気密性が重要となるエアコンの登場を受けて、アルミサッシはまたたく間に普及していく。
 
急速に普及したアルミサッシ
昭和37年のサッシの年間生産量はスチールサッシが8万4千トンで、アルミサッシは5千トンであった。しかしこの後、アルミサッシは年率平均62%(38〜44年)という驚異的な成長を遂げ、昭和48年にはスチールサッシ118千トン、アルミサッシ458千トンとなり、アルミサッシはスチールサッシの4倍近い生産量になった。
「軽くて錆びにくく、加工性に優れる」というアルミニウムの特性が当時の建築物にマッチし、住宅市場の急成長とあいまって需要が急増したのである。
普及には日本の建築仕様にあわせた製品開発も重要であった。同じ木造住宅でも日本は畳と障子を用いて通気性を良くし、アメリカは石やレンガを用いて雨風を防ぐ。家をつくる目的や方法が異なるのである。そのためアメリカ式ではなく日本の住宅仕様、建築工法にあわせたアルミサッシが開発された。このような工夫によって、アルミサッシは急速に、広範囲に浸透し、ひいては都市や住宅地の景観をも変えていったのである。
 
 
 
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